復活2年目~7月のまとめ報告と“8月”~あの夏、共に汗を流した仲間たち

22/08/2014
歌津小太郎こぶ巻ファンド

”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
お中元シーズンの7月を乗り越えまして8月も半ばを過ぎました。学生さんは7月中旬くらいから夏休みですし、社会人の方も長期休暇を取られる時期ですので、我らが南三陸町/歌津・馬場中山地区には2011年以来、リピーターとなってくださったボランティアさん達(私は馬場中山地区応援団と呼んでいますが)が続々と訪れ懐かしい顔を見せてくれています。


8月上旬、中山地区の漁師さん達が震災後初めてとなるホタテの水揚げ作業を行っていました。 少しずつ、海のモノが復活してきています。 馬場中山カオル商店HP20140804

今回の記事ではお中元商戦の話題を中心に7月の報告を致しまして、震災後の3年間の振り返りでは、夏休みに入ったことでより活発となった馬場中山地区を応援するボランティアさんと我々の復興に向けた活動にはじまりまして、その後の強力な応援団達の活動をご紹介したいと思います。このブログでは紹介しきれない沢山の出来事がありましたので全てをご紹介することは出来ませんが、震災後のあの夏から始まった私たちの強固なつながりのその訳を皆さんと共有したいと思います。

また、後半のほうで詳しくご紹介していますが、8月23日(土)に埼玉県蓮田市でのイベントに馬場中山地区を代表して歌津小太郎が出店しますので、首都圏の皆さんでお近く方は是非お越しいただければと思います。

● 2014年7月の歌津小太郎活動報告  ~歌津小太郎自慢の“こぶ巻”、沢山お届けしました!~
6月11日より歌津小太郎が常設の販売コーナーを構えております仙台の老舗百貨店『藤崎』のお中元商戦が始まりまして7月31日まではその対応に集中しておりました。

歌津小太郎自慢のお中元セットの広告写真です。ブログではお味をお届けできないのが残念です。

昨年の今頃はまだ歌津小太郎の新工場が立ち上がったばかりで品数が揃わずにお中元セットを作れなかったので、3年間のブランクを経てのお中元復活となりました。昨年のお歳暮商戦では震災後ようやく復活した“歌津小太郎のこぶ巻”に対しまして予想以上に沢山の皆様からご用命頂きましたが、仙台の夏の贈り物には笹かま、牛タンの名産品に始まり、果物や冷たいお菓子とかがお中元に好まれるだろうと感じますし、藤崎本店のデパ地下には美味しいものが沢山並んでいますから、今回のお中元商戦に関しては控えめの予想をしておりました。

結果は――本当にありがたいことに、震災前の2010年の頃とほぼ同等くらいのご注文を頂くことが出来ました。藤崎の販売コーナーではそれまでの1日二人体制から、このお中元商戦に向けて専任スタッフを、もう一人増員して対応準備をしました。歌津小太郎ではほぼ全ての商品をご試食できるようにしていますので、お立ち寄り頂いたお客様には常連さんにも初めての方にも全て味わって頂いてからお選び頂くようにしています。そうしますと、お店の前に人だかりが出来まして、それを見てまたお客様が足を止められる――まずはご試食頂くことが歌津小太郎の販売スタイルなのです。味わってさえ頂ければ、我々が自信を持ってお送りしている歌津小太郎の味のファンになって頂ける自信があるのです。  


藤崎スタッフの稲田さん


こちらは稲田さん(左)と櫻井さん(右)

そんな歌津小太郎の味を全て決めているのが小太郎夫人のあさ子(私=孝浩の母)です。私にとっては自宅の食卓でもなじんでいる歌津の家庭の味ですが、漁師と兼業で水産食品加工を始めて以来、変わらぬ味を作り続けています。


こんぶ炒りを調理中の、あさ子さん

我々の店舗の写真をご覧になると判ると思いますが、ワカメもこぶ巻もその他の海藻商品も遠めに見ると全部が真っ黒! 見た目が本当に地味なのです。ですから、おそらくどんなに腕の良い写真家さんに“こぶ巻”の販売促進用の写真をキレイに撮って頂いたとしても、写真だけで判断してお選び頂くような通信販売には向かないと思っています。それゆえに頑なに対面販売にこだわって、店頭で直接味わって頂いてからお買い上げ頂く歌津小太郎のスタイルが定着したのですが、顔の見える販売を続けていたことが、結果的に我々の復活の大きな後押しとなったことは前回の「6月報告と“7月”」でもお伝えした通りです。 夏の帰省シーズンは都会に戻る親族に“こぶ巻”や“めかぶ漬”を買って持たせる、そういった需要でやはり藤崎の直営店舗は大賑わいでした。  




藤崎本館地下2階“歌津小太郎コーナー”


首都圏で歌津小太郎商品を扱って下さっています(株)加藤物産さんによる8月後半から9月にかけての首都圏での販売は、伊勢丹浦和店、小田急百貨店新宿店、東急百貨店東横店を予定しております。詳しくは歌津小太郎ホームページの「販売会のお知らせ」をご覧下さい。


3年間の振り返り
2月のブログより、毎月ごとに3年間の同じ月は何をしていたか思い出して書き綴っています。 書き残しておくことで未来の自分達へのメッセージであったり、非日常的な体験をした私達の経験が今後の教訓につながったりなど、そういった出来事を皆様と共有できたらと思います。

歌津小太郎の旧工場及び千葉家の自宅のあった南三陸町(旧・歌津町)馬場中山地区は地域全体が壊滅的な津波被害を受け、どうにか津波を被らなかった公共施設・馬場中山生活センターという高台にある建物で200人が避難生活を送ることになりました。一階の天井まで津波を被った千葉家でしたが、6月中旬にはなんとか修復して住める状態になりましたので、避難所を出ることが出来ました。前回の報告では7月には全員が仮設住宅や元の家に戻るなどしまして、7月11日(震災の日からちょうど4ヶ月)の日に避難所の解散となりました。バラバラとなった地域の人々がその後どうなっていったか、私たちのストーリーに是非じっくりお付き合いいただければと思います。

☆ 2011年8月: あの夏、共に汗を話した仲間達
7月に避難所を解散してから6箇所の仮設住宅地区と全壊を免れて元の家に留まった住民とでバラバラに暮らす我々は、いつかはまた「馬場・中山地区」としてコミュニティーを復活させることを強く願っていました。「未来道プロジェクト」は馬場中山地区が津波被害により海岸線の道路が寸断され孤立集落を経験したことから、津波の影響を受けない高台を通る避難道を作るプロジェクトとして自ら計画して進めたプロジェクトでした。8月はそれに加えて「なじょにかなるさープロジェクト」、これは漁師さん達の生業であるわかめ養殖の復活を推進するプロジェクトですが、こちらのほうも活動がスタートしました。沢山の出来事がありまして情報満載ですがお付き合い下さい。


[未来道プロジェクトの8月]
前回の「6月報告と“7月”」の記事で概要をお伝えしております未来道プロジェクトですが、7月いっぱいでルートはつながりましたが、土が露出したままでしたので、少しの雨でも地盤が緩み、車が通れる状態を維持できなくなります。8月はその砂利を敷き作業を中心に進めました。こちらは説明よりも写真で見たほうが伝わると思いますので、後半の特集写真コーナーで[未来道プロジェクト8月編]でまとめておきます。

前回記事の繰り返しとなりますが解説しますと、今回の津波では海沿いを通る道路が分断されたため孤立集落となり、最初の一週間ほどは命を繋ぐ水・食料の確保がままならない状態でした。唯一残った道は高台を通るとても狭い農道(道とは呼べないくらいのもの?)でした。そのルートを使って、今後の避難道として、あるいは高台への集落移転地区(予定地)への幹線道路として使い、百年先の世代まで安心して暮らしていける地域の再建をしようと立ち上げられたのがこの「未来道プロジェクト」です。

この未来道プロジェクトの活動の様子は、避難所生活の頃、震災からちょうど1ヶ月後の4月11日に立ち上げてそれから毎日を写真で綴った「馬場中山地区ホームページ」で発信し続けたことで多くの方からの共感を頂き、次々と広がりを生み出していきました。この頃からテレビニュースの取材も多く入るようになりまして、当時の私たちは自分達が取り上げられているニュース映像を見ている余裕がなくて、何が起こっているかあまり理解していませんでしたが、とにかくいろんな方面から新たな申し出が増えてきたことに驚きを感じていました。


[なじょにかなるさープロジェクト始動!]
「なんとかなるさ」をこちらでは「なじょにかなるさー」と言います。 馬場中山地区の漁業の中心はわかめ養殖でした。太平洋の海流に育まれた肉厚のわかめは最高品質で知られていました。そのわかめ養殖を復活させようというのが「なじょにかなるさープロジェクト」です。今回はその第一章にあたる「わかめ養殖に必要な漁船探し」の写真を後半の特集写真コーナーにまとめております。


なじょにかなるさープロジェクトのメンバーが北海道に到着しました。馬場中山HP20110802

「なじょにかなるさープロジェクト」をご理解頂くためには、まずはわかめ養殖の一年間のサイクルを説明したいと思います。今回のブログの中ではあまりにも長くなるので、次回の記事のなかで詳しく触れたいと思います。
順番が逆になってしまいますが、なじょにかなるさープロジェクトの成果であるわかめ養殖復活の様子はすでにこのブログシリーズの中の2014年3月10日配信版『復活2年目~2月のまとめ報告と“3月”~歌津の新物わかめ&めかぶ』でご紹介しているので、ご関心のある方はそちらをご覧いただければと思います。

[8月、馬場中山地区のつながりを支えてくれた人々]
地域全体の大きな動きとしては「未来道プロジェクト」と「なじょにかなるさープロジェクト」ですが、その他にも6月からスタートしている「苗プロジェクト」(推進代表者はお隣の登米市の有機農家さん)やその他の団体や個人の方がそれぞれの思いで、それぞれの得意な分野で知恵を使って工夫を凝らして我々の地域を支えてくれました。

こちらも説明文よりも写真のほうが伝わると思いますので、後半の特集写真コーナーの中でまとめております。当事者の私たちが見ると、あの夏のいろいろな思いがよみがえり、改めて応援してくださったみなさんに感謝の気持ちをお伝えしたくなる写真ばかりですが、つたない文章のキャプションでなんとか伝われば幸いです。


☆ 2012年8月: 歌津のわかめの早期復活をPR!


[歌津のわかめの復活を発信する機会を頂きました]
7月に引き続き 8月中にも2日間だけですが仙台/藤崎百貨店での販売をいたしました。さらに埼玉県蓮田市でのイベントにも出店出来ました。蓮田市さんとは2011年4月後半に“はすだ支援隊”のみなさんが馬場中山地区にボランティアに来ていただいたことにはじまりご縁ができまして「はすだ市民祭り」にお呼び頂いたのでした。驚くことにはすだ支援隊のみなさんだけでなく、歌津/馬場・中山地区へのボランティア参加がご縁で親しくなりました皆さんが「歌津小太郎応援団」として福井・静岡・神奈川・東京などから遠路はるばる駆けつけて下さいました。大勢の方にイベントを盛り上げて頂き、大成功に終わりました。
この頃から自宅台所工房はフル稼働! 家族総出でわかめを袋詰めしていました。


2012年8月25日 はすだ市民まつり   被災地からのレポート 20131023記事より

[歌津小太郎新工場の建築確認申請]
2011年12月にはいわゆるグループ補助金制度に応募しまして新工場建設の計画を本格的に開始していたのですが、建設費の高騰や建設資材調達の遅れなどさまざまな理由から、建設事業計画を何度も見直した結果遅れに遅れたのですが、ようやく建築確認申請提出(気仙沼土木事務所)にまでたどり着きました! 針生承一建築研究所さんのご尽力になんとかここまで参りました。気持ちばかりが焦っていた日々でしたが、一つずつ問題を解決しながら進めておりました。

 気仙沼土木事務所に申請書類提出。こうした役所もプレハブ作りの仮設庁舎です。


[ファンド募集開始してみたら]
2012年6月28日からミュージックセキュリティーズさんによる“歌津小太郎こぶ巻きファンド”の募集を開始していましたが、地域の仕事やわかめ製品を人海戦術で作るなどで目の回るような忙しさゆえに、ときおりお声がけを頂く東京での事業者説明会にはなかなか参加できずにいました。そして工場がないのだから歌津小太郎の主力商品をご説明することも難しい状況でしたので正直申しましてどのくらい皆さんに歌津小太郎の姿が伝わっているか想像が出来ませんでした。後から確認してみますと、ファンド募集の開始直後に出資者として応援いただいた方には宮城県内の方が多かったことが判ります。宮城県内の中でも自分達も地震被害を少なからず受けているが津波被害を受けていないという地域の方々が、我々のような壊滅的に被災してしまった小さな企業の応援をして下さる、宮城県の中での『共助』といいましょうかそういった気持ちを読み取ることが出来、大変に嬉しく思いました。


☆ 2013年8月:  歌津小太郎商品を蓮田のみなさんにお届け

[はすだの皆さんと再会 ]
8月24日、昨年に引き続き埼玉県蓮田市の「はすだ市民祭り」に南三陸町の地域を代表して特産品の販売を行いました。 震災直後から南三陸町歌津馬場・中山地区に支援に入っていただいた「はすだ支援隊」の皆さんにはこの2年半、お世話になりっぱなしでした。 (詳しくは歌津小太郎ホームページの活動日記2012年7月1日)

昨年は歌津小太郎の商品としては半加工品の「湯通し塩蔵わかめ」だけしかお持ちできなかったのですが、今回は封を開ければすぐに食べられるご飯のお供、「陸中漬(りくちゅうづけ)」と「ひと味ぼれ(ひとみぼれ)」もお持ちしました。海のない埼玉県蓮田市の皆さんと、海の幸だけはどこにも負けない宮城県南三陸町の私たち。直線距離で350kmを超える距離、震災前は何の接点もなかったこの二つの地域ですが、地域ぐるみの大きな親戚同士みたいなおつきあいが続いています。


(埼玉県蓮田市 中野市長さんと、はすだ支援隊の皆さん)

[歌津小太郎の8月]
前回の記事に盛り込めなかった7月の話題ですが、大変に遅ればせながらとなりますが、2013年4月27日に開業した歌津小太郎新工場の3ヶ月遅れの開業祝の昼食会を弟の馨(カオル)の夫婦がオープンした“カフェかなっぺ”で開催しました。(正確には7月27日のかなっぺオープンよりも前に団体客受け入れのトレーニングも兼ねてのものでした)


この日、残念ながら小太郎社長も私(孝浩)も参加できなかったので、歌津小太郎製造スタッフのみ7名の“女子会”となりました。 馬場中山カオル商店HP20130723


トレーラーハウスを使った店内の様子は、厨房コーナーから見るとこんな大きさです。 厨房ではカナエさんがパスタを盛り付けているところです。  馬場中山カオル商店HP20130723




普段の仕事姿は帽子にマスクをしているのと、恥ずかしがってブログ用の写真をなかなか撮らせてくれませんので、製造スタッフの普段着姿は貴重な写真です。手前が母のあさ子です。


昼食後は午後の仕事に戻りました。カフェかなっぺの入口から海を臨むとこんな感じです。ちょっと判りにくいですが海岸線からは急な坂を10mくらい登ったところにあります。右手のトレーラーハウス(宿泊用)の左に見える海岸線のあたりが旧・歌津小太郎工場のあった場所周辺です。 ここまでの写真は馬場中山カオル商店HP20130723


● 2014年8月の歌津の海・港・漁師・旨いものそして歌津小太郎情報 8月15日北海道根室港にサンマ漁の主力となる小型棒受け網漁船の初水揚げのニュースを見てホッとしました。先月から始まった北海道沖での流し網漁が不良との情報でしたので、来月から製造する新物のさんま昆布巻にどれほどの影響があるのかと、最悪の場合、今年はさんま昆布巻の製造が出来ない事態にもなりかねないとの思いもありました。サンマ漁はこれからが本格的な漁期に入りますので昨年のような不漁のシーズンでないことを心から願っております。


それから、地域の情報として復興に向けて大きな出来事がありました。8月1日(金)南三陸町では初めてとなる災害公営住宅の入居が始まりました。震災から約3年半、仮設住宅からやっと自分たちの住まいで生活が始まります。今後は戸建て住宅の建設なども始まり、新しい居住区が続々と生まれてきます。

それから、書き出しの部分で触れていましたが、8月23日(土)に埼玉県蓮田市でのイベントに馬場中山地区を代表して歌津小太郎が出店しますので、首都圏の皆さんでお近く方は是非お越しいただければと思います。場所は、「蓮田駅東口のくぼ通り」です。今回はまだ暑い日が続く中の屋外イベントですので、わかめ製品を中心に3-4品の歌津小太郎商品をお持ちして伺います。私(孝浩)が歌津から、そしていつものように“はすだ支援隊”の皆さんがいっしょに盛り上げて下さいますので、上野駅からは一時間弱ですので、お近くの方は是非いらして頂ければと思います。



<あとがき>
 いつも長~くなってしまう歌津小太郎のブログの一部は、我々を気にかけてくださる出資者の方などからの情報発信に対するアドバイスを元に構成しています。自分達にとっては当たり前すぎてこれまでお伝えできていなかった歌津のことに漁師の仕事や海の旨いもののことなど、「こんなこと知りたい!」とリクエストを頂ければ今後のブログで反映していきたいと思いますのでよろしくお願いします。 (すぐには全てに対応出来ないかもしれません。そのときはゴメンナサイ!)


今回の教訓では、「善意を表明する的確な場さえあれば人は純粋に善意を示す」ということをご紹介したいと思います。震災発生の2011年3月から今回の記事にあります8月まで、概ね最初の6ヶ月の間に我々に支援の手を差し伸べて下さった皆さんとは現在も継続しておつきあいを頂いています。食べるものも水もトイレも不足していた避難所生活の当初の頃だけに留まらず、我々をこうして応援してくださる方々に対し、大変ありがたい反面、「自分だったら縁のなかった被災地域に対してここまで親身に時間も費用もかけて支援を継続できるだろうか」と思いました。それは私だけでなくカオルもそのように感じていたようです。

長くボランティアさん達の受け入れの窓口をしてくれていたカオルの言葉を借りると「そもそも人間には困った人をただ助けたいという気持ちが備わっていて、純粋に助けたいだけなんじゃないか」といいます。当初はなぜボランティアの皆さんが何の見返りもなしにわざわざこんな所まで支援物資を運んで来たり ボランティア活動をしに来てくれるのか理解できませんでした。馬場中山地区全体が避難所生活をしていた頃、不足していた日用品などをホームページで募集した際にそれを手配してくださった方から「支援する機会を与えてくれてありがとう。」というメッセージをいただいたことがあります。そういったメッセージを数多く頂いて、「純粋に助けたい気持ちのあらわれ」だと思うようになったといいます。


こちらの地区に対する行政からの支援が遅れる中、馬場中山生活センターのみんなはこの純粋な善意に支えられたおかげで被災直後の大変な時期を生き抜いてこれました。その善意を与える側と受け止める側のマッチングが非常にうまくいったのが我々の馬場中山地区であったのだと、あの震災から3年5ヶ月を経てようやくそのように振り返ることが出来ました。


まだまだ我々の地の漁業を中心とした正業(なりわい)も生活の復興も課題が沢山ありますが、全国の方からの善意に支えられてここまで加速して立ち上がることが出来ました。ようやくみなさまの善意へのお返しをするにはどうしたら良いか考えられるようになったのですが、私に出来ることは歌津小太郎商品だけに限らず歌津の魅力である“旨いもの”を広くお届けすることであろうと思い到りました。そんな訳で今回も長くなった次第ですが、ここまでおつきあい頂きありがとうございました!


 記事担当 千葉孝浩


■□■□■今月の特集写真コーナー「あの夏、共に汗を流した仲間達の笑顔」■□■□■□■□■□
いつも後半に特集写真のコーナーを設けています。「あの夏、共に汗を流した仲間達の笑顔」と題しまして、2011年8月に馬場中山地区に来ていただいたボランティアの方の写真をテーマ別にご紹介したいと思います。写真素材は全て、馬場中山地区ホームページ(歌津小太郎第三の男・カオルが運営)の中でご紹介したものを再掲載しています。集合写真と皆さんの驚嘆の「仕事ぶり」を中心にピックアップしてみました。

テーマは、1.未来道プロジェクト8月編、2.なじょにかなるさープロジェクト始動編、3.8月、馬場中山地区のつながりを支えてくれた人々編 の順に並べております。それぞれの日付は写真のキャプションに年月日を8桁で記載していますので、もっと写真を見たい方は、馬場中山地区ホームページから日付で探してみてください。
[1.未来道プロジェクト8月編]

高台を通る未知未来道から海を眺めるベストショットです。遠くに島のように見えるのが歌津半島です。 馬場中山地区HP20110811


埼玉はすだ支援隊のトシさんと中山さんです。深夜の2時に到着し日帰りで未来道の様子を見に来てくれました。 馬場中山地区HP20110731


7月中に大まかにルートを切り開くところまで進んだ未来道を確認しています。この日の私は緑色のツナギ(一番右)です。 馬場中山地区HP20110731


自分達で建てた第二避難所(この頃は支援センターと言っていました)で未来道や今後の復興について話し合っています。 馬場中山地区HP20110731


8月2日、朝から未来道工事開始です。 馬場中山地区HP20110802


役場の方が未来道工事の様子を見に来ました。町の復興計画とうまくリンクさせるために頻繁に話し合ったほうが良いとアドバイスです。 馬場中山地区HP20110802


この日(8月2日)はテレビ局の取材も入っていました。  馬場中山地区HP20110802


ボランティア活動のために全国から集まった有志の皆さんが未来道の作業を手伝うために来てくださいました。 馬場中山HP20110806


木こりさんや草刈機で草を刈る方々です。  馬場中山HP20110806



写真では見えませんが木こりさんが根元をチェーンソーで切っています。 馬場中山HP20110806




10分後、あっとゆうまに木を伐採しました。馬場中山HP20110806



8月7日もボランティア活動のため全国から集まった有志の皆さんが未来道の作業を手伝うために来てくださいました。ありがとうございます。  馬場中山HP20110807



8月8日もボランティア活動のため全国から集まった有志の皆さんが未来道の作業を手伝うために来てくださいました。ありがとうございます。

こちらの皆さんは後に長いお付き合いとなる神奈川県座間市の『かおる建設工業』の皆さんたちでした。きっかけは、南三陸ボランティアセンターから「馬場中山地区では地域で自主的に避難道を整備している」という情報をキャッチし、“道路建設は本業だから力を貸すよ!”ということで来て頂くことになったのでした。 馬場中山HP20110808



 8月28日朝、集中砂利敷き作業前の写真です。前日夜遅くに到着したはすだ支援隊は短い仮眠をとっただけ。 馬場中山地区HP20110828



未来道プロジェクトに初参加に人もいるので、作業前に未来道の全容を下見に行きます。 馬場中山地区HP20110828



別のボランティア団体の皆さんです。未来道プロジェクトに対して炊き出しをしてくださるとのことです。 馬場中山地区HP20110828



未来道で一番地盤の高いところ、見晴らしの良いところから砂利を敷き始めます。 馬場中山地区HP20110828



木々のすき間から海が見えます。  馬場中山地区HP20110828



快晴に恵まれ未来道工事日和です。この日もテレビニュースの取材が入っています。  馬場中山地区HP20110828



未来道が二股に分かれるところです。 馬場中山地区HP20110828



馬場中山地区HP20110828


少しずつ砂利を敷いていきます。 馬場中山地区HP20110828



林を切り開いた場所も立派な道になってきました。  馬場中山地区HP20110828



汗だくの作業の後には、こんなおもてなしを用意しました。馬場中山名物となっていた五右衛門風呂の復活です。入浴シーンの写真はこちらのブログには不適切なので掲載していません。 馬場中山地区HP20110828



8月29日、二日目の集中砂利敷き作業です。まずはトラックから重機を使って砂利を敷きます。 馬場中山地区HP20110829



地元のメンバーがスコップを持って砂利をならしていきます。女性たちも参戦です。 馬場中山HP20110829



馬場中山HP20110829



馬場中山HP20110829



昼食時のくつろぎ風景です。 馬場中山HP20110829



この日の昼食はやきそばにおにぎりと前夜の残りの焼き鳥、そしてデザートにスイカでした。 馬場中山HP20110829



はすだ支援隊のリーダー、トシさんの笑顔です。 馬場中山地区HP20110829



馬場中山生活センター前で海をバックに記念撮影です。未来道への集中砂利敷き作業を率いてくださったはすだ支援隊の皆さんが戻られる前にその場にいた全員が集まりました。 馬場中山HP20110829


[2.なじょにかなるさープロジェクト始動編]


なじょにかなるさープロジェクトのメンバーが北海道に到着しました。馬場中山HP20110802

わずかな情報を頼りに漁港をめぐり、わかめ養殖に使えそうな漁船を探します。こういった船が停泊しているところに行き、事情を説明し売りに出ている船がないか直談判で探しました。 馬場中山HP20110802


北海道に漁船探しに訪れていたメンバーが戻りました。書類を広げて精算作業をしています。 畳の上にダイニングテーブルと、不釣合いではありますが、ここはみんなで作った第二避難所の中でして有効に使われています。馬場中山HP20110804


北海道に行ってきた4人の若手漁師さんです。欲しい船が見つかりましたが、どのように調達するかを話し合っています。 馬場中山HP20110804


右のお二人が「なじょにかなるさープロジェクト」に支援を申し出てくれているホープインターナショナルさんのスタッフの方です。左側の漁師さんたちが漁船探しの視察の結果を報告しています。馬場中山地区HP20110805



なじょにかなるさープロジェクトで行った北海道視察についての報告書をまとめていました。

漁師をなりわいとする皆さんはパソコン操作や文章作成に使い慣れていません。そういった苦手なところもホープインターナショナルさんがサポートして下さっています。 馬場中山HP20110809


[3.8月、馬場中山地区のつながりを支えてくれた人々編]


後ろの女性二人が横浜市からボランティアで来た伊藤姉妹です。後に草刈り姉妹と名付けられ大活躍します。 馬場中山地区HP20110811



伊藤姉妹は大阪市内の有志の方から地域の子供達のためにと花火を沢山持参していました。 馬場中山地区HP20110813


泊りがけでボランティアに来ていただいた方には、みんなで作った第二避難所を簡易宿泊施設として開放していました。馬場中山地区HP20110814



ボランティアの伊藤姉妹の主催で花火大会が開催されました。 馬場中山地区HP20110814






花火のあとはスイカが振舞われました。 イベントが終了した後もボランティアさんと地元のみんなとの会話が盛り上がりなかなか解散しませんでした。 ここまで馬場中山地区HP20110814


伊藤姉妹による草刈り活動の開始です。馬場中山地区HP20110817




プロのカメラマンさんのボランティアさんは家族写真を撮影してプリントしてお渡しするプロジェクトを行っていました。 馬場中山地区HP20110813


馬場中山地区HP20110814


仮設住宅の前でもパシャリ。その時々のありのままの家族の姿をテーマにしています。馬場中山地区HP20110814



馬場中山支援センターでは、支援物資で頂いたパソコンが有効に使われるようになっていました。 全くパソコンに縁のなかった漁師さんのなかにも避難生活中で見よう見真似でキーボード入力が出来るようになり、簡単な情報検索が出来るようになった人が複数います。 馬場中山地区HP20110810


こちらは中山地区の海辺の休憩所です。はすだ支援隊による6月の“作品“です。漁師さん達を中心に有効に使われています。 馬場中山地区HP20110818


苗プロジェクトの第4便が届きました。秋野菜の苗と堆肥が中心です。すげ傘を被っているのが苗プロジェクトを主催する蛯名さん、右の女性が馬場中山の地域のメンバーの要望を取りまとめています。 馬場中山地区HP20110818


希望していた苗の分配を確認します。 馬場中山地区HP20110818



よく見えないかもしれませんが、苗プロジェクトで頂いた苗で育ったスイカです。 馬場中山地区HP20110818


ボランティアさん達が苗プロジェクトの苗から作ったトマトのおすそ分けを食べています。フルーツのように甘いトマトでした。馬場中山地区HP20110817

ファンド情報

歌津小太郎こぶ巻ファンド
歌津小太郎
Período contable
01/06/2013 ~ 31/05/2022
Por unidad
S/ 105.00
Tasa de redención
En operación
Número de participantes
824 personas
Logro de recaudación
42,390,000 PEN
【Notas importantes】
Los fondos que manejamos pueden incurrir en tarifas de manejo designadas (pueden aplicarse tarifas de transferencia bancaria por separado) y existen riesgos como la pérdida del capital de la inversión.
Las tarifas de manejo y los riesgos varían según el fondo, así que consulte la descripción del contrato de sociedad anónima de cada fondo para obtener más detalles.
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