復活2年目~1月の報告&私たちが第二工場を作る理由~

24/02/2015
歌津小太郎こぶ巻ファンド

”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
2015年もあっという間にニカ月が過ぎようとしています。私たちの拠点であります宮城県南三陸町(の北部の旧・歌津町)では、何日か雪が降りましたが積もるというほどではありませんでした。しかし、太平洋に面するこの地域特有の強く冷たい風で寒さは格別です。この寒さが海の中で美味しい宝物を育んでいます。


歌津・馬場地区の港です。吹きっさらしの状態の中ですが、ワカメの収獲に必要な機材を準備している様子です。(馬場中山カオル商店HP20150212)


歌津の海の宝物の一つ、アワビです!  今年初、1月9日の“アワビの開口”での収獲です(馬場中山カオル商店HP20150109)


今回はいつもと趣向を変えまして、前回の長文のブログ(1月21日配信の12月の”お歳暮商戦最終報告と直近3カ月の予定”)でお伝え切れなかった話題、私たちの第二工場建設の話題を先にお伝えし、後半で1月のご報告をしたいと思います。


●『漁師 歌津小太郎』第二工場の地鎮祭~そして建設を決断した理由
先日、短いブログで速報をご紹介しておりますが、1月22日に『漁師 歌津小太郎』の第二工場建設の地鎮祭を執り行いました。第二工場建設に関しては当然、大きな投資となるわけですが、忙しさの中で皆さまに詳しい経緯をご報告出来ないままに突然のご報告となりましたかと思います。誠に申し訳ありません。事後報告となってしまいますが、改めてご説明したいと思います。


2015年1月22日、第二工場の地鎮祭を行いました!


【漁師 歌津小太郎の第一工場と第二工場の概要】
2011年3月11日の津波被害で、私たちは海に面して建っていた工場を含め全ての生産資源を失いました。2年間のブランクを経ましたが、多くの皆様と国や地域行政の支援により、2013年4月に宮城県南三陸町(旧・歌津町)管の浜という地域(そこは海岸線から500mほど入ったところです。)に旧工場の半分くらいの規模の水産加工工場を再建しました。

今回、新たに建設します第二工場は、この管の浜の第一工場と同じ敷地に隣接して建てるものです。機能としては第一工場が震災前の主力商品でした『メカブやホヤなどの生鮮加工食品』を生産するのに対し、第二工場では現在の主力商品である、さんま昆布巻などの『昆布巻専用の生産ライン』を有し、歌津の海で水揚げされたホタテやアワビに牡蠣、そして宮城県人が愛してやまないホヤなどの海産物の『一次加工と急速冷凍加工』を行うという役割の工場となります。ほとんどが手作業で行いますので工場というより『水産加工場(かこうば)』という表現のほうが合っているかもしれません。また、第二工場には小スペースですが、販売できるコーナーも設けて、地域での自社加工商品の利便性も高めて行こうと計画しています。



●第一工場の概要(比較のため)
建屋面積:  182.18平米
完成年月:  2013年4月


歌津小太郎新工場の全景(完成直後に撮影)です。 歌津小太郎HP20130518


●第二工場の概要(および今回建設する付帯設備)
建屋面積:   343.95平米
延べ床面積: 603.14平米
仕様:       鉄骨2階建て(販売スペースを含む)
工事期間:  2015年3月から9月を予定



第二工場完成予想図

【私たちが第二工場建設を決断した理由(わけ)】
第二工場が出来ると、歌津小太郎では震災前には取り扱っていなかった生鮮品の海産物も取り扱うことが出来るようになります! すなわち、ビジネスの範囲が格段に広がります。


この大きな挑戦へのきっかけとなったのには、大きく二つの要因からでした。
一つ目の要因は、支援して下さる皆さんとの交流から生まれた『歌津の旨いっを届けたい!』という強い思いでした。そして二つ目は、震災前の歌津小太郎を再建するという考えだけでは解決できないことがあまりにも多く、その状況から脱したいと切に願ったことからでした。


『支援して下さる皆さんとの交流』とは全国に広がる支援者の皆さんとの交流を全て書き出すと語りつくせないくらいの長文になってしまうので、中でも象徴的な出来事をご紹介します。震災から1年後の2012年4月より、毎年4月・8月・11月の3回、埼玉県蓮田市の地域イベントに呼んで頂き、歌津の漁師さんが食べている旨いものを支援者の皆さんと一緒に販売させて頂いたこと(こちらのブログでも随時報告させて頂いていますが)これが私たちに強い力を与えてくれました。


蓮田市の土木・建設業の組合の皆さん達(その名も“はすだ支援隊”)とは震災直後からその専門性を生かしたボランティア活動で、私たちの避難所である歌津・馬場中山生活センターを支援して頂いたことをきっかけに、その後、避難所が解散となってからも長きに渡って支援を続けて下さった方たちです。そんなご縁から始まりまして、年に3回の地域イベントに呼んで頂くようになりました。最初のうちは、ホントにそれしかなかったという事情もありますが、『南三陸(歌津)特産のワカメ』のみを販売していました。



震災後、間もない時期は、このワカメ一品だけでも、「肉厚でしっかり味がある!これがホントのワカメの味なんだ~!」と大変に好評を頂きましたが。その後、回を重ねるごとに地域イベントにお越し頂いたお客様のご要望がワカメだけではなく、ホタテとかカキとか多種にわたる歌津の海産物であることに気づきました。当時(2012年-2013年頃)の南三陸・歌津の海の復興状況を知っている支援隊の皆さん(←何度も申しますが、本業は土木建設業)は、そのような要望にも「まだ加工施設が整備されてないんでワカメしか販売することが出来ないんですよ~」と、歌津から少人数で来ている私たちを代弁して誠意のこもった対応をしてくださいました。その姿を見て、「いつか必ず歌津小太郎のとっておきのうまいッを持って来よう」そして、支援隊のみんなに「歌津小太郎のこれがうまいんですよ」とか「今回の目玉はこれです」とお客様に自信をもってお勧めできる海産物を一緒に売ろうという意欲が芽生えました。

2014年11月3日、蓮田市イベント(このときは歌津小太郎商品とホタテ焼きを提供)の完売達成シーン――「バンザ~イ!!!」
写真に写っている皆さんが私たちに力を与えてくれる恩人たちです!



さらには、震災前からの歌津小太郎直売店舗(仙台市内)のお得意様から復活を待ちわびている商品、特に人気なのがホタテやホヤやアワビなどを使った商品ですが、そういった商品に対しての声がたくさんあるのにも関わらず、全く手を付けられていない不甲斐なさ…応援してくれている皆さんをいつまで待たせなくてはならないのか…そんな心のうちでの葛藤があり何とかして実現しなくてはと言う自分でもびっくりするほどの強い気持ちを持てたことでした。


大きな挑戦へのきっかけとなった二つ目の要因ですが、再建に向けた道のりのなかで何度も壁にぶつかった経験から、これまでのような自分たちの役割だけ、すなわち震災前の歌津小太郎に戻ろうとするだけでは全く前に進めないという現実に直面した時でした。

宮城県の中でいうと、気仙沼や石巻は町としても港としても規模が大きく、専門的に言うと『拠点港』という位置づけですので、復興は第一優先で行われました。しかし、ホントに小さな漁港が海岸線に点在していた南三陸町では、津波で被災した後の港の設備の再建が大幅に遅れています。そのため、漁師さんが採った海産物の『一次加工処理(魚介類の洗浄→規格品の選別)』を行うという部分が現在もほとんど機能していません。従って、これまで常識だった『地域の漁港で水揚げ後すぐに一次加工処理をし、衛生管理をしっかり行った流通を行う』ということが出来なくなっています。


2014年8月上旬、歌津・中山地区での震災後初のホタテの水揚げです。といっても港に設備(洗浄・冷蔵庫・選別場etc)がないので、水揚げ後すぐに別の地域の加工場に移して、一次処理を行います。



以前であれば、私たち歌津小太郎のような水産加工場は『二次加工(下処理→味付け→包装)』の仕事だけをしていたのですが、私たちの仕事の上流側である『一次加工処理』が停滞していたのでは商品が作れませんので、現在は不便ながらも我々のほうで一次加工処理も行っています。


『海産物の一次加工』というのと、歌津小太郎の現在の工場の違いというのも一般の方には判りにくいかと思います。歌津小太郎では、海藻類や魚や魚介類を調理してパック詰めし、2週間とか1カ月とか3カ月の賞味期限のものを作りますので、衛生管理を徹底して行っています。そのような体制を『二次加工』と言います。この二次加工の調理場の中に、海から水揚げされたそのままの魚介類を持ち込むのは衛生管理上、あまり好ましくありません。ホタテを例にとりますと、水揚げされたそのままのホタテは、貝殻に藻などが沢山ついていますので、多様な海の微生物と食品二次加工のスペースを共通で使うのは、衛生面でのリスクが高まるためです。


もう少し詳しく申しますと、震災前は、歌津の小さな漁港のそれぞれが、一次加工施設を持っていたので、そういったところで一次加工したもの、ホタテでいえば貝柱の状態で歌津小太郎工場に仕入れていたわけです。その一次加工施設がないので、現時点では、キッチリと衛生管理に配慮しながら、歌津小太郎の現在の工場内でその一次加工も行っているのですが、このままでは衛生面だけでなく生産性も大変に悪いのです。その結果、これまでのブログの中でもときおり触れておりましたように『港の一次加工施設の整備まで、まだ復興の手が回っていないため、歌津小太郎の得意とするところ(二次加工)に全力投球出来ない』というわけです。我々、歌津小太郎が震災前と質と量で同様くらいの商品ラインナップにまで戻すには何をしなくてはないのか…「公共投資での整備が待てないならば、歌津小太郎の一次加工施設を作れないだろうか?」そう強く思い始めるようになりました。

「なんとかしなければ!」とモヤモヤした気持ちでいたときに、南三陸町から地域産業の復興に向けた補助事業の公募を目にしました。歌津小太郎の工場再建からちょうど1年後の2014年5月初旬のことでした。

「これだ!これしかない!!」藁にも縋る思いとはこのことだと直感しました。これからやらなくてはいけない私たちの事業像や地域水産業の将来の姿について、積りに積もった思いのたけを申請書に敷き詰めました。国と町が審査する補助事業のため、取り決めの項目や施設環境の条件など、詳細な制約を一つ一つクリアしながら申請受付最終日の昨年(2014年)5月31日、締切ぎりぎりの1時間前に何とか提出することが出来ました。


各申請書類のファイルです。



その後、お中元やお盆商戦の繁忙期でも審査の結果が気になって仕事がうまく手につかないでいた昨年(2014年)8月、役所から郵便で届いた「採択」の通知に、ホッとして一気に体から力が抜けたことを今でも覚えています。

それから、今年(2015年)の1月22日の地鎮祭を迎えるまでの約5か月間は更なる試練の連続でした。施設、設備業者さんとの話し合いはほぼ毎日と言った感じでしたし、保健所、道路、排水、漁港などの関係機関との相談など、自分たちの理想の工場にするためには、これほどまでの確認作業があるのかと思い知らされました。

現在は今年(2015年)3月の工事着工を目指し、工事関係者の皆さんと協議をしながら最終の詰めの判断をする段階に来ました。まだまだ課題や難題を抱えていて簡単には建てられそうもない歌津小太郎第二工場ですが、これまでも何とか努力して解決してきたことを思い出し、理想の商品づくりを追い求め、次のステージへ向かって前進するよう取り組んでまいります。


長くなりましたが、以上が私たちが第二工場(一次加工施設)を作る理由(わけ)となります。現在の工場が2013年4月に復活しましたが、それから1年たっても震災前の売上の半分程度までにしか戻せていなかった2014年5月という時期に、さらなる大きな投資に挑戦しようと思いましたのは、『次の世代にもこの地に軸足をしっかり固めて歌津の旨いものを作り続けて欲しい』という願いと申しますか、強い決意表明なのでした。



●2015年1月報告
歌津小太郎の唯一の直営店である、仙台藤崎百貨店が今年(2015年)12月に開業する地下鉄東西線一番町駅の連絡通路の開通工事に伴い、食品フロアの全面改装工事が1月29日より始まりました。 本館地下2階にありました私たちの売場も、現在は本館地下1階の仮スペースに移転しての営業となっていて、お客様には多々ご迷惑をお掛けしているところであります。歌津小太郎コーナーの場所は仙台名産品コーナーの一角に構えており、これまでと変わらない品揃えを展開し営業しています。 こちらのコーナーには今年(2015年)4月の中旬までの期間営業し、改装工事が終了しだい新しい歌津小太郎コーナーとして本館地下2階に移る予定です。
歌津の第二工場建設と仙台の歌津小太郎コーナーのリモデルとが同時に計画が進められているので、頭の切換えが難しく、右往左往する毎日が続いていますが、これもいつものことと思うようにして、逆に楽しんで新しい取り組みに挑戦して行こうと思います。



本館地下1階の仮スペースでの売り場


<あとがき>
歌津小太郎のブログは、我々を気にかけてくださる出資者の方などからの情報発信に対するアドバイスを元に構成しています。自分達にとっては当たり前すぎてこれまでお伝えできていなかった歌津のことに漁師の仕事や海の旨いもののことなど、「こんなこと知りたい!」とリクエストを頂ければ今後のブログで反映していきたいと思いますのでよろしくお願いします。
(すぐには全てに対応出来ないかもしれません。そのときはゴメンナサイ!)

2015年の大プロジェクト『第二工場建設』、その決断に至る経緯をようやくご説明できました! 漁港や水産加工の世界の事情など、一般の方には判りにくいこともあろうかと思いますが、なんとなく判って頂けたのではないかと思います。

今後は、第二工場に併設する直売所的な販売スペースの構想に関しても、その運営の手法に対して支援して下さる皆様の楽しいアイディアを取り入れていければなと思っております。

前回のあとがきと重複しますが、もっと便利に歌津小太郎商品をご利用いただけるようwebサイト(通販事業)の整備や、首都圏でのデパ地下販売会にもこれまで以上出店するよう計画しています。時間の経過と共に、私たちの地域の環境も復興に向かって着実に前進していることを感じ取れるようになっております。私たちが目指す事業が地域の発展に少しでも貢献できるよう、お客様から必要とされる商品をしっかりご提案できるよう精進して2015年に挑みたいと思います…頑張ります!!

記事担当 千葉孝浩


震災前までの工場跡地で、古くはココが千葉家の自宅でした。昭和の半ば頃は、家の裏に直接小舟をつけていたわけです。遠くに見えるのが歌津半島の先端です。(震災直後の2011年3月13日撮影)


現在の海の様子


2015年1月9日、アワビの開口(収穫して良い日)のときです。(馬場中山カオル商店HP20150109)


私たちの地域では、震災後もほとんどの漁師さんが以前と同様に漁師を続ける選択をしました。
…辛いことも沢山ありましたが、代々漁師をしていたご先祖から受け継いだこの歌津の地での暮らしを絶対に諦めません!

ファンド情報

歌津小太郎こぶ巻ファンド
歌津小太郎
Período contable
01/06/2013 ~ 31/05/2022
Por unidad
S/ 105.00
Tasa de redención
En operación
Número de participantes
824 personas
Logro de recaudación
42,390,000 PEN
【Notas importantes】
Los fondos que manejamos pueden incurrir en tarifas de manejo designadas (pueden aplicarse tarifas de transferencia bancaria por separado) y existen riesgos como la pérdida del capital de la inversión.
Las tarifas de manejo y los riesgos varían según el fondo, así que consulte la descripción del contrato de sociedad anónima de cada fondo para obtener más detalles.
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